古代ギリシャのアリストテレスが「四体液説」を唱えた頃から、生命現象は物理化学法則だけでは説明できない、何か特別で神秘的な力によって動かされていると捉える「生気論(目的論)」という考え方が、人々の間に広く認識されていました[102,103]。これは、後のインドのユナーニ医学・アーユルヴェーダや中国医学の思想的源流にもなっています。しかし、18世紀以降は現代科学の発展と共に、生命をまるで機械のように見なし、生命現象を物理化学法則で解き明かそうとする「機械論(決定論)」が主流になってきました。ウイルスや細菌が感染症を引き起こすとする「病原体仮説(germ theory)」や、遺伝子が全てを決めているとする「遺伝子決定論」はその最たるものです。実はこの「機械論」と「生気論」の思想的対立は、医学の歴史を語る上でも決して外せない話です[104-106]。
18世紀の科学革命以降、医学も機械論とともに進歩し、生気論は主流派となった機械論者たちから激しい攻撃を受け、廃れていきました。一方で、機械論は遺伝子研究の進歩の中で、遺伝子中心主義・遺伝子決定論と相まって深化・強化され、20世紀後半の分子生物学や医薬業界の急成長に多大な貢献をしてきました。しかし、これまでみてきたように、このような遺伝子を生命の本質とみなす機械論的生命観の下では、多くの病気の原因を説明することもできなければ、根本的に治療する方法を見つけ出すこともできないという限界も明らかになってきています。つまり、従来の医療が前提としてきた機械論的な考え方・アプローチだけでは、生命の本質に到達することはできず、従って根本的な治療方法を見つけ出すことはできないということなのです[107-110]。
これはなぜかというと、先述してきたとおり、生命とは単なる部品の集合ではない“複雑系”であり、外界からエネルギーと物質を取り込み変化し続ける「動的なオープンシステム」だからです。このようなエネルギーと物質の連続的な流れの中でこそ生命は成立しているので、その全体の一部でしかないもの(遺伝子など)の構造や機能を解明したとしても、全体を理解したことにはならないのです[111]。むしろ、その一部をいじって改善しようとしても、逆に全体のバランスを崩してしまうことになりかねません。これはつまり、生命のような複雑系においては、「部分最適は全体最適にはならない」ということを意味しています[112-115]。
慢性疾患の根本治療においては、生命を「エネルギーと物質の流れによって維持される開放系」として理解し、その全体的なダイナミクスに着目することが非常に重要になってきます。つまり、身体全体のエネルギー代謝を重視した視点を持つことが重要だということです。この視点は、機械論的生命観の限界を乗り越えつつも、生命の全体性に目を向けているという意味では生気論的ではありますが、あくまでも物理化学法則に則った「エネルギー代謝」を基盤とする、新しい形の“統合的生命観”といえるでしょう。
では、この「エネルギーの流れ」は、細胞のどこで生み出され、どのように制御されているのでしょうか?
実は、我々の細胞内には、「エネルギー代謝の中枢」として働き、ATP産生・酸化還元バランスの維持・代謝ネットワークの統合的制御を一手に引き受けている唯一の器官があります。
それこそが「ミトコンドリア」です。
次からはこのミトコンドリアについて、触れていくことにしましょう。

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